今回、日本の地域リーグ経由で海外でプレーする選手の話を掲載するということで、golacoさんに記事を載せていただきました。
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地域リーグからオーストラリアまでの道のりを取り上げてもらえたので、個人的にも少し振り返りを
挫折をした福島ユナイテッド時代
大学で大きな活躍も出来ず不完全燃焼に終わったため、卒業後もサッカーがしたいと夢見て受けたセレクションで声をかけていただいた福島ユナイテッドへ。
このときは、ちょうど東日本大震災があったことで親からの反対はあったもののサッカーがしたいという思いで挑戦を決意。
ここでは地域リーグではあるもののJFLを目指していたということもあり、周りの選手のほとんどが元Jリーガーの方達。
そんな中で、どれだけ自分の力が通用するのかということを楽しみに挑んだもののJリーガーという高い壁を乗り越えられず。
自分の力不足を受け止めるものの、試合に出れず苦しい日々を過ごす。
結果、1年を通して公式戦への出場はリーグ戦を考慮してメンバーを組んだ天皇杯のみに。
シーズン終了後に臨んだ契約更改の場では
「貴殿とは来季の契約を結ぶ意向はありません」
という言葉の書いた紙切れ。
1年の結果を受け入れれば実力社会である以上仕方ないこと、しかし大卒1年目ということもありもう少し見てもらいたかったという気持ちも無きにしも非ず。
福島を好きになっていたし、もっと他の選手から学びたかったので辛い気持ちはあれどサッカー選手は試合に出てなんぼという気持ちでした。
意気揚々と挑戦したFC鈴鹿ランポーレ
前年度の結果から、2年連続でセレクションを受け、声をかけていただいたチームであるFC鈴鹿ランポーレ(現:鈴鹿アンリミテッドFC)。
公式戦出場0、解雇という挫折から這い上がるべく意気揚々と挑戦の舞台に選んだ三重県鈴鹿市。
開幕前から試合に出ていたものの、開幕前の怪我がありスタメンとしてなかなか試合に出れない日々。
また、チームの内情も難しいということもあり、組織そのものはまだまだ出来上がっていないチームでした。
前年に福島を経験していたこともそのように思った一つの要因ではあるが。
チームとしては、前期を首位で折り返すものの後期には失速して優勝ならず。
個人としてもスタメンとしての出場数は数えられるほど。
優勝を逃した時点でJFL昇格を逃す。チームとしても、選手として不完全燃焼の1年を過ごす。
三重県鈴鹿市を好きになってはいたが、自分の幅を広げる挑戦をしたいと思い、海外へ渡ることを決意しました。
初めてづくしのオーストラリア挑戦前
渡豪を決めるまでは、いろいろな方にコンタクトをとり「セレッソ大阪」という共通点があった8 football managementの卜部太郎さんを頼ってオーストラリア/ブリスベンへ挑戦することに。
この決意をするまで海外へ行ったこともないので、決意後すぐにパスポートの申請。
パスポートと同時にビザの申請と渡豪前から初めてのことだらけで楽しみ半分不安半分。
英語もままならない状況での挑戦ということもあり不安の方が少し勝っていたかなという渡豪前。
結果、パスポートの申請期間だけが準備期間で発行後はすぐに渡豪と、不安を十分に解消することもなく海を渡りました。
勢いで渡豪したわけですが、それもいい経験になったかなと思います。
まとめ
地域リーグでも満足な出場機会があったわけでもなく、順風満帆な選手生活でもなかったですが、オーストラリア/ブリスベンではセミプロとして活動できています。
ブリスベンプレミアリーグでの2018年シーズンは毎週末試合に出場し、個人的にキャリアハイの結果を残せました。
環境を変えるということは大変かもしれませんが、些細なきっかけで大きく自分が置かれている環境が変わるかもしれません。
正解は一つじゃない、選択肢は色々あるということを自分の活動を通じて示し、今後新たな挑戦をしたいという人に伝えていければ自分が挑戦したことの意義なのかなと感じています。
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